泡沫の日々

気ままに更新。

話題のアレ。CICAデビューしました。

ちょっと前から話題のアレである。

韓国コスメで人気のCICA

ずっと気にはなっていたが、国産のとかでないのかな~と(韓国コスメも好きです)思いながら店頭に並ぶCICAたちを横目に見ていた。

そして昨日見つけたのである。国産CICA

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クリームやらハンドクリームやらパックやらも売っていたが、今回は美容液ミストを購入。

化粧の上からもOKとあるが、ミストの粒が大きいのでびしょびしょになる。

化粧の前の方がよさそうだ。

効果はまだよくわからない。香りはハーブのような香りだが個人的には好きな部類である。

 

まずは無事にCICAデビューを果たしたということに満足している。

至福のコーヒータイム

今朝は早く起床して、夕食の準備と今週の私のお弁当(彼はいつも外食)の準備と部屋の掃除、お風呂掃除にトイレ掃除も済ませた。

われながら頑張った。

 

そして彼は昨日は自分の家に帰っており(半同棲なので)、今日は午前中に美容室へ行っているようだ。

こちらに来るのは15時ごろだろうか、それから二人で少し出かけようと話していた。

 

彼を待っている今、私は優雅な時間を過ごせている!
大好きなコーヒーに大好きなチョコレート、念願の塩バタかまん。
そして大好きな読書の時間である!

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今読んでいるのはミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』


ちなみにコーヒーは友人からいただいた35コーヒー。

 

『存在の耐えられない軽さ』はずっと読みたいと思っていながら2年ほど積読していた本である。

私は読書は好きなのだが、読むのがすこぶる遅い。
なのでまだ序盤しか読んでいないが面白い。早く先が読みたい、が、終わってしまうのも悲しい。

読み終わったらほんの少しだが感想など書いてみようかと思う。
自分の気持ちをうまく文章で表わせられるか怖い。

 

今日の彼ごはん

平日はなかなか執筆時間が取れないので、気が向いたときにはご飯の写真でも載せようかと思う。

 

写真の腕がアレなのは目を瞑ってほしい。

 


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本日の献立

ゴーヤチャンプルー

・マカロニサラダ

・赤ピーマンと玉ねぎのピクルス

・玉ねぎのお味噌汁

 

ここ数ヵ月、ダイエットのために晩ごはんのお米はなしにしている。

その分メインのおかずにはお肉かお魚、豆腐などのたんぱく質を多めに。

 

私も半年ほど前にダイエットを始めてから基本的に夜はお米なしである。

たまにチートデーは作るが。

 

我が家の手作り出汁パック

つい最近まではほんだしが最強だと思っていた。

しかし私と彼のダイエットや、彼の健康を考えていろいろ調べていくと無添加に辿り着いた。

今までも数年単位で私の中に無添加ブームがくるのだが、ちゃんと自炊していないと無添加に気を遣うのはなかなか難しい。

自炊していてもなかなか難しいが。
全部が全部無添加にする必要はない、というより不可能に近いと思っている。

なので我が家はゆる無添加ということにした。

外食やたまのお菓子は目をつぶるが、調味料などはやはり極力無添加を使いたい。

そこでまず手を付けたのが出汁パックである。

最初は市販の無添加出汁パックを買ってみたが、指定量より多く使ってもなんとも薄い。。。香りも薄い。。。

やや高級なもの、安いものを多めにして、などいろいろ試したが納得いくものには出会えなかった。

なにかいいものはないのかと調べているときに目にしたのが『手作り出汁パック』である。

手作り出汁パックと言っても、十人十色。作る人によって内容や分量、粉末にするかそのままかなど様々だった。

最初は粉末のほうが出汁も取りやすいのだろうと思い、ブレンダーも一緒に調べていた。しかし出汁のためだけに買うには少しばかり高い。

なのでそのままぶち込む方式を採用した。ただ出汁の材料費も国産や無添加を選ぶと安くはないので、無駄にしたくない。ということでそのままよりも少し細かくすることにした。

まず購入するものはこちら(写真を撮ったのだが不注意で消してしまったので文字で失礼する。)

業務スーパー 国産花かつお
業務スーパー 日高昆布
・近所の国産無添加ショップ 出汁用煮干し
・近所の国産無添加ショップ 干ししいたけ
・出汁パック(大きめのお茶パック)

さっそく作っていこう。(ここからは写真残ってた><)

1.まず3匹分の煮干しの頭とはらわたを取る。(残すとえぐみが出るらしい)
2.昆布を7cm四方ほどの量を手とキッチンハサミで小さく切る。

  (粉末にするとえぐみが出るらしい)
3.干ししいたけを1枚分小さく切る。
4.1~3を出汁パックの中に入れ、空いた部分に鰹節を入るだけ詰め込む。

 

できあがったのがこちら↓

 

いくつか作ってジップロックに詰めて冷凍庫へ。

 

こういう出汁パックは冷凍庫で保管するのがいいらしい。
誰かのブログか何かで、「出汁パックは常温で保管するとダニパックになります。」という文を見て戦慄した。

いつも一度に30パックほど作れるので、だいたい一か月は持つ。
出汁パックの保管期間も冷凍で1か月ほどらしいのでちょうどいい。

そしてなにより市販の出汁パックやほんだしなどよりも香りがよく、毎日の味噌汁が最高に美味になった。

作るまでは面倒だし作ってる最中も材料の粉末が飛び散るし昆布が固いと手が痛いしで少々あれだが、作り置きしておけば毎日うまい味噌汁が飲める。
もちろん他の料理にも使える。時間と心に少しばかり余裕のある人にはおすすめしたい。

ちなみに使い方。

1.鍋に水800ml、出汁パック1つを入れて15分ほど浸す。(急いでいる時は割愛)
2.中火で沸騰直前まで熱す。
3.弱火で5分煮詰める。
4.出汁パックを取り出して、あとは普通に味噌汁作成。

出汁パックの材料や分量に正解はないので、各ご家庭の味を探求してほしい。
ただ、鰹節は多ければ多いほどうまい。

お試しあれ。

はじまり

10年近くぶりにブログなんかを始めてみた。

理由はなんてことはなく、文章を書きたいから。
人に伝える文章の練習をしたい。いろんなことを記録したい。
そしてなにより暇なのだ!

家にPCがないのでスマホでちまちま書いていく。
数年前に購入してずっと眠らせていたBluetoothキーボードを引っ張り出してスマホと繋げてみたら、意外といいじゃない!
画面が小さいので目はやられるが、これくらいは仕方ない。

何事も初めが肝心とは思うけど何から書こうか。

ここには私のいろんなことを記していこうと思っている。
好きなもの、嫌いなもの、気になるもの、思うこと、日々のこと。

まずは私のこと。
関東に生まれ関東で育ち関東で就職したが今は転勤で関西に在住している。

ごく普通の家庭に育ち・・・と、少なくとも中学生までは思っていた。
まあそんなに変わった家庭というわけではなかったが、個人的にわりと波瀾万丈な20数年だった。

専業主婦の母、THE亭主関白の父、優しいけどチャランポランな兄、兄と11歳離れて生まれた私。
父は亭主関白というより、あれはもはやDV(言葉の暴力)だった。
私にだけはゲロ甘だったが、母と兄にはとてつもなく厳しかった。

今になって、父は自己愛性人格障害かなにかだったのではと素人ながら考える。
そんな父は2018年にたった一人、家族に見守られることなく亡くなった

私は高校卒業後はトリマーの専門学校に通いたかったのだが、ちょうどそのころ父の仕事が激減し、私も家計を助けるために就職することになった。

運良く一部上場企業に就職することができ、高卒なので安月給ながらも今まで安定した生活を送ることができている。

東日本大震災の1年後、21か22歳ごろに父の仕事が完全に0になった。
そして当時家族3人(兄は独り暮らし)で住んでいたアパートも耐震問題で立ち退きに。
私たち一家は家探しをはじめる。

その頃我が家には私が小学生のころから飼っていた犬もいた。
大人3人と犬1匹、家探しはなかなか難しい。
さらに母が脚が悪い上に地元を離れたがらないために近場で家を探さなければならない。

数ヵ月探しに探し回っていたところに、近所の賃貸マンションがフルリフォームをして分譲マンションとして売り出されているらいいとの噂を聞いた。
両親はこの話に飛び付いた。が、父は実質無職、母は専業主婦。
稼ぎ手は私しかいない。

当時の私は飼っていた犬の生活を守ることが何より大事だった。
そして頭もとてつもなく悪かった。
分譲マンションを私の名義で購入した。
35年ローン、1800万、頭金は母が捻出した10万円。
あまりに無謀である。

家を購入した数年後、私の愛した犬は亡くなった。
そのまた数年後に両親は熟年離婚した。
父が外で問題事を起こし、母が愛想を尽かしたのだ。
私も兄も大賛成だった。

父は離婚届を書いてすぐに家を出て、私が次に父と会ったのは静まり返った病室だった。

両親が離婚してから、私と母のマンション二人暮らしが始まった。
自ら望んで離婚した母だったが、やはり精神的に辛かったのかすぐに体調を崩し、私は家計だけでなく母の世話もしなければならなくなった。

そんな生活は2年と続かず、私は自己破産をすることにした。
購入した時から両親の離婚直後までは母がパートに出て家計を助けてくれていた。
だが母が働けなくなってからは私1人の収入しかなかった。
そうなってから徐々に毎月の支払いは滞ってしまったのだ。

売却業者や弁護士に依頼して2年近くかかってやっとこっさ売却・自己破産を完了した。
自己破産完了直前には私の転勤が決まり、ここぞとばかりに母を置いて関西に逃げ込んできた。

私が関西に行くことを決めてすぐ、役所から父が危篤と連絡がきた。
父は離婚後、生活保護を受けていたようだ。
母には言い出せず、父と不仲だった兄にも告げず一人で病院に行った。

冷たくなった父。
病院から聞かされた父の様子、心も身体もボロボロだった。
父を一人にしてしまった申し訳なさと寂しさと何とも言い難い気持ちでいっぱいで、ただ泣いた。

それからいろいろあって結局私一人で父の葬儀をして見送った。
生活保護を受けていた父は、小さな小さな壺に一部の骨のみ納められた。 

私が引っ越してから、母にも生活保護を受けてもらっている。
一人置いていくのは不安だったが、この制度は本当に本当にありがたい。
必要最低限のみだが、お金の心配もなくなり、担当の方がちょくちょく様子もうかがってくれる。
一緒に暮らしていたときよりも安心して過ごせている。
ただ、父のことはいまだに話せていない。

思ったより長くなってしまったが、私が関西に移住するまでの大きな出来事はこんな感じだ。
ほかにもいろいろあったがはしょった。
また機会があれば書いていこうと思う。